Sakura2011
2013年 03月 10日
「忘れまい」という言葉が繰り返されているけれど、私は、忘れられないでいる。震災直後は、どうしようもない恐怖や怒りをブログにぶつけたが、今は、それらの想いが鈍く重く心の奥底に沈んだ感がある。一年目の去年より今年の方がより一層その実感が強い。
二年前の4月、東北に桜が咲いた。その時の想いを綴った文章を、2011年リサイタルのプログラムから転載させていただきたい。言葉にならない、心からの祈りを込めて。
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Sakura 2011
1985年6月、バルセロナ市庁舎内『百人会議の間』で、師マヌエル・ガルシア・モランテ編曲による『日本民謡集』の出版記念特別演奏会が開かれた。私はこの曲集の歌詞・解説の西訳、手書きの日本語による原稿作成、編集、校正等々を担当していた。師を手伝い、無事完成にこぎ着けたところで、光栄にもバルセロナ市主催の出版記念式典が開かれることになった。式典当日、市旗が掲げられた『百人会議の間』は厳かな雰囲気に包まれていた。ご招待客は皆、やや緊張した面持ちで着席。私には、師の奥様が、亡き母上から受け継いだ美しいレースのボレロを着せてくださった。市のお偉方の祝辞、師の謝辞に続いて、《さくら》《子守歌》など数曲を私が歌った。中世バルセロナの栄華を誇る『百人会議の間』に日本の歌が響き渡った。
終演後、ひとりの青年がやって来た。「初めて日本の歌を聴きました。とても美しかった。一曲目の《さくら》は不思議でした。花の歌なのに、なぜか、あなたの歌に“祈り”を感じたのです。Sakuraは日本人にとって特別な意味をもつ花なのですか?」思いも寄らぬ問いだった。まだ若かった私に適確な答えが出来たのかどうか…。
2011年4月、福島の桜が咲いた。天災にも人災にも負けず、いつもの年と同じように人々に季節を知らせ、泰然と咲く花。黙して語らぬその存在の頼もしさ、そして愛おしさ。あの空も、あの海も、あの大地も、生きて支えあう者も、この世では二度と会えない人も、すべてが安らかでありますように。心からそう願わずにいられなかった。
「Sakuraは日本人にとって特別な意味をもつ花なのですか?」四半世紀前、私に桜への祈りを教えてくれたのは、あのスペイン人青年だったのかもしれない。