グラナドス150回めの誕生日   

今日7月27日は、エンリケ・グラナドス150回目の誕生日にあたる。
エンリケ・グラナドス讃

エンリケ・グラナドス・イ・カンピーニャは、1867年7月27日、カタルーニャ地方レイダで生まれた。父はキューバ生まれの軍人、母はサンタンデールの人。エンリケが3歳の頃、父の新しい赴任地、サンタ・クルス・デ・テネリフェ(カナリヤ諸島)に移る。後にグラナドスは、彼の地での思い出を「まさに天国のようだった」と述懐している。しかし、3年ほど過ぎた頃、父の落馬事故、健康上の問題等により、一家はバルセロナへの転居を余儀なくされた。

息子の音楽の才能を感じ取っていた両親は、早くから音楽教育を受けさせた。グラナドスは、バルセロナで、当時もっとも偉大な音楽家だったプジョールに師事。みるみる頭角を現す。将来有望、順風満帆に見えたが、16歳の頃、父が亡くなり、生活は一変。母とともに残された家族を養うため、彼はしばしば自分のレッスンを犠牲にして、いくつかのカフェでピアニストとして働かなければならなかった。酔客の前で、時には客の歌に合わせて、ピアノを弾くグラナドス…。彼が書き残した当時の言うに言われぬストレスは、まさに我ら凡人と同じ。いたく共感、ニンマリしてしまう。彼はカフェでも人気者だった。

自ら働いて学資を貯め、才能を高く買ってくれた篤志家の援助もあり、グラナドスは20歳でパリへ渡る。シャルル・ベリオに師事し、個人レッスンを受けながら、アルベニス、フォーレ、ドュビッシー、ラベル、ドュカス、サン・サーンスら音楽仲間と親交を結んだ。絵画にも興味を示し、画家達とも交流。芸術の都で、同郷の友人、ビーニェス、マラッツらと青春を謳歌した。

約2年間のパリ滞在を経て帰国。以後は、故郷バルセロナを舞台に、ピアニスト、作曲家、教育者として大活躍した。カザルス、ニン、ファリャら、今日私達がよく知るスペインの音楽家達も、グラナドスを深く敬愛していた。

渾身のオペラ《ゴイエスカス》ニューヨーク初演大成功を見届け、数々の栄誉を手にし、人々の称賛を受け、安堵して故郷バルセロナへ帰る途中、第一次世界大戦の犠牲となり、妻とともに英仏海峡の露と消えたグラナドス。
そのあまりにもドラマティックな最期ゆえか、彼の青春時代が語られる機会は少ない。
しかしピアノに夢中になり、カフェでのアルバイトに溜息をつきながらも夢を諦めず、パリで鋭意レッスンに励み、師や友人と深く心を結び、時にはお洒落して街を闊歩する…。そんな若き日のグラナドスの姿もまた私を魅了してやまない。

昨年は没後100年、そして今年は生誕150年。グラナドス記念の年に、現役の歌い手でいられたことを幸せに思う。11月のリサイタルでは、ぜひ佳き演奏をお届けしたい。

第26回リサイタル
スペイン浪漫Ⅲ~グラナドス生誕150年、モンポウ没後30年に捧ぐ
2017年11月19日午後2時開演@Hakuju Hall(代々木八幡)
ご来聴をおまちしています♪

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by Megumi_Tani | 2017-07-27 13:06 | リサイタル | Comments(0)

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