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『鳥の歌』@チャリティーコンサート   

とある教会で開かれたチャリティーコンサートに出かけた。
ご聖堂に、バッハの「Bist du bei mir」「無伴奏チェロ組曲」、ヴィタリ「シャコンヌ」、アルビノーニ「アダージョ」、サン・サーンス「アベ・マリア」etc。名曲が響き渡る。
演奏者の方々(メゾソプラノ、ヴァイオリン、チェロ、オルガン)が素晴らしい。第一級の演奏を、静かに、熱く、真摯に、聴かせてくれた。音楽はパシオン(受難:すべてを受け入れる)の光。あらためて実感する。

プログラム後半、チェロとオルガンで「鳥の歌」が奏された。前奏のトレモロが鳴り、朗々とチェロのメロディーが歌う。カザルスの吐息が聴こえる気がした。

それにしても、と、いつも思う。バルセロナへ渡らなければカタルーニャ語で「鳥の歌」を歌うことはなかっただろう。思うところあって暫く休んでいたリサイタルの再開を決心させてくれたのも「鳥の歌」だった。2010年には「鳥の歌づくし」のリサイタルを開いた。よくもまぁこんなプログラムを、と、歌う私も呆れるほどだったが、「鳥の歌」の深い宇宙をお客様と一緒に旅したような、かけがえのない時間になった。

不思議な曲だ。人生の折々にふっと現れ、遠い彼方を真っ直ぐに見つめさせてくれる。


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by Megumi_Tani | 2015-05-31 21:44 | スペイン歌曲 | Comments(0)

ビクトリア・デ・ロス・アンへレス没後10周年(3)   

五月もあと一日で終わりだ。風薫る…のはずが、今年は真夏日があったかと思えは、先週は大きな地震、昨日は口永良部島の新岳が噴火した。得体のしれない熱を内包したような昨今。平和で穏やかな日々を願わずにはいられない。

豊饒のカタルーニャを思わせるトルドラの傑作「五月」
モノクロのカタルーニャ音楽堂が新鮮!


スペイン語の「アンヘル」は「天使」の意。ビクトリア・デ・ロス・アンへレスは「天使たちのヴィクトリア」の意味になる。2005年1月15日、彼女はその名の通り、天に還って行った。【Brava Victoria】
この現世(うつしよ)に姿が在ろうがなかろうが、そんなこととは関係なく、彼女の歌はいつも私の中に在る。大いなる存在感、大いなる輝き。年月を経るほどに、その偉大さがより深く感じられるような気がする。

没後10周年の今年、偶然にも私はリサイタル30周年を迎える。「周年」が重なったことに秘かな感慨があり、ありがとうございます、の思いがどこからか、ふつふつと湧き上がってくる。

没後10周年を記念して公開された画像


こんな曲も歌っています。


彼女の命日にちなんで、1月に様々な音源をご紹介しました。
名曲、名演満載060.gif ぜひこちらもご覧ください。
ビクトリア・デ・ロス・アンへレス没後10周年(1)
ビクトリア・デ・ロス・アンへレス没後10周年(2)
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by Megumi_Tani | 2015-05-30 01:01 | スペイン歌曲 | Comments(0)

司馬遼太郎著『南蛮のみち Ⅰ・Ⅱ』   

そういえばそんな本があった、と、思い出すことがある。昨年10月、アルゲリッチの映画を観に行った際のこと。入り口横の売店に「本日の映画に関連する本」として、司馬遼太郎著『南蛮のみち Ⅰ・Ⅱ』が並べられていた。とかく日本では、スペイン・ラテン系という曖昧な括りで、何もかも十把一絡げにしてしまう。アルゲリッチとザビエルが“関連”というのは、なんとも可笑しい。
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さて、そのずい分前に読んだ『南蛮のみち Ⅰ・Ⅱ』を、もう一度読み直してみた。フランシスコ・ザビエルの心の軌跡を追って、バスク地方を旅する内容だ。バスクからマドリードへ、そしてポルトガルへと旅は続く。独特の語り口の文章だが、何となくノリが悪い。何故か、司馬遼太郎の楽しくなさそうな?気配が伝わってくる。

こちらも何となくノリが悪いまま読むうちに、きっと司馬遼太郎は、バスクが、マドリードが、あえて言えばスペインが、肌に合わなかったのだ、と、気がついた。スペインは独自の強烈な個性をもった国だ。惚れる者はとことん惚れこむが、中には、「ああいう国はちょっと…」と仰る方もいる。ザビエルに多大な影響を与えたロヨラも、彼との出会いから極端な変貌を遂げてゆくザビエルも、かなり強烈な、今風に言えば“濃い”人間だ。彼らのほの暗い色濃さに、司馬遼太郎は、共感ではなく、違和感を覚えたのではないだろうか?

その証拠に、というわけでもないが、旅がポルトガルに入ったところから急に筆致が変わる。風光明媚な景色を愛で、街並みを楽しみ、詩やファドを味わい、人々の気質に愛着を感じている。「ポルトガルはいいなぁ」という司馬遼太郎の声が聞こえそう…と思いつつ読んでいたら、あらら!「人間がおだやかで秩序的であり、スペイン的な激情は見られない(本文より)」とまで書かれている。やはり人間、相性というものがあるらしい。しかし、それでも書ける。やっぱり巨匠だ。

ザビエルに関しては、こんな文章も。
ザビエルの生地、パンプローナにみたスペインと日本のつながり
執筆者の細田晴子氏は、以前このブログでご紹介した『カザルスと国際政治』の著者。

司馬遼太郎の数々の名著の中で、ちょっと隠れた一冊はこちら。
人間・空海の背中をひたすら追っています。
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by Megumi_Tani | 2015-05-22 01:09 | 本の窓 | Comments(0)

カーネーション~Clavelitos   

5月の第二日曜日、今日は「母の日」です。19世紀アメリカで始まったこの習慣が日本に伝えられたのは大正時代といわれています。外国がまだ遠い「外つ国(とつくに)」だった時代、今のようにリアルタイムで自由に情報を獲得できるわけではなかった時代。にもかかわらず、「大正浪漫」という言葉に象徴されるこの時代の文化の華やかさは見事なものです。当時の人々の進取の気性と柔軟かつ奔放な適応能力に、しばしば驚かされます。

カーネーションは地中海沿岸原産の花です。母の日とカーネーションとの関係については諸説あるようですが、その一つは、十字架にかけられたイエスを見送ったマリアの目から涙が溢れた、その涙の跡から生まれた花がカーネーションだったというもの。母の心、母の愛を象徴する花とされています。

さて、そのカーネーション~スペイン語でclavel(クラベル)~は、スペインの国花です。Clavelに愛情をたっぷりこめた呼び名「Clavelitos」は、タイトルもそのままに、トゥーナ(スペインの大学生による音楽隊)が演奏する有名な曲になっています。


こちらはサンティアゴ・デ・コンポステーラ大学のトゥーナが歌う「Clavelitos」


同じ曲を「小さなウグイス」と呼ばれたホセリートが歌います。
何か訳あり?の映画の一場面のようです。


往年のテノール、アルフレード・クラウス「Clavelitos」


スペインには、サルスエラの作曲家バルベルデの「Clavelitos」という作品もあります。
タイトルは同じですが、こちらはエレガントでチャーミング!
ビクトリア・デ・ロス・アンへレスの名唱でお楽しみください。

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by Megumi_Tani | 2015-05-10 19:22 | スペイン音楽 | Comments(0)

「Latido al cante~カンテへの鼓動」   

世は連休。カンタオーラ濱田吾愛さんからのご案内で、高円寺カサ・デ・エスペランサで開かれた「カンテへの鼓動~Latido al cante」に行ってきた。カンテ3名、ギター3名に加えて、この夜はスペシャルでバイレも入り、盛りだくさんのプログラム。舞台が目の前、という狭い空間。一曲、一曲が真剣勝負だ。カンテ、ギター各々の個性が時に際立ち、時に溶け合い、音の命がほとばしる。熱いライブ。あっという間に夜が更けた。

フラメンコといえばあの華やかな衣装の踊りが思い浮かぶ。日本でも驚くほど愛好家が多い。しかしフラメンコは踊りだけではない。フラメンコの核を成すのは歌であり、ギターである。フラメンコの歌い手のことをカンタオール(男性)、カンタオーラ(女性)、彼らが歌う歌をカンテとよぶ。同じ歌い手でも、私はカンタンテであり、私たちが歌うはカント、あるいはカンシオンである。同じスペイン音楽の「歌」であっても、別個に存在する芸術だ。

ところが、当然といえば当然、そして興味深いといえば誠に興味深いことだが、まるで別のものであっても、カントとカンテの内奥には共通の何かが潜む。情熱、という言葉よりも、もっと深い何か。情(じょう)ではなく情(なさけ)、ただの熱ではなく灼熱。涙を真っ向から受けとめ、血を流し、それでも天を仰ぐ、愚直さ、哀しさ…。カンタンテもカンタオールもカンタオーラも、スタイルは違えど、嘘なく、正直に、己の真実を声に賭ける。そこには、ただのきれいごとではない、生きることへの切ない共感がある。

先日カンテ好きの方から、「お奨めの曲はありませんか?」とお尋ねを受けた。私のイチ押は、ロシオ・フラードが歌うファリャ『恋は魔術師』。「愛の悩みの歌」は何人ものカンタオーラが歌っている。ヴィクトリア・デ・ロス・アンへレスもテレサ・ベルガンサも歌っている。しかしこの曲に関する限り、私の中ではロシオ・フラードが一番だ。クラシックとフラメンコ、民謡、ポピュラーをかなり自由に行き来できるのもスペイン音楽の魅力である。

ファリャ『恋は魔術師』より「愛の悩みの歌」


同じ『恋は魔術師』より「鬼火の踊り」
アントニオ・ガデス×クリスティーナ・オヨス×ロシオ・フラード


こんな映像も見つけました。1分45秒あたりから、ロシオ・フラードが歌っています。


ちなみに、「スペインといばフラメンコですけど、谷さん、舞台で踊るんですか?」と聞かれることもあります。私は踊りません。でも、踊りたくなることはあります! 
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by Megumi_Tani | 2015-05-05 23:49 | ビバ!エスパーニャ! | Comments(0)

スペイン歴女   

日西翻訳通訳研究塾にて開講中の教養講座「スペインの民主化を振り返る」第8回の講義が終了した。いよいよフランコ亡きあとの民主化である。鍵を握る人物は、アドルフォ・スアレス。とある講演会の折、講師の先生が「スペインでは政治家の容姿がとても重要です」と仰っていた。なるほど。スアレス氏、なかなかのイケメンだ。新しい風を吹かせてくれるかも、、と、期待させる雰囲気がある?そんな己の魅力を知ってか知らずか、彼はテレビを巧みに使い、画面を通して国民にメッセージを発した。「時代が変わる、新しい時代が来る…」と。
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しかし彼が首相になるまでのプロセスがすごい。フランコ存命中からすでに始まっていた根回し、裏工作、秘密会談の数々。もしもこの時この人がこう言わなかったら、もしもこの多数決に負けていたら、もしもこの秘密面会がバレていたら、もしもこのメモを手渡せなかったら等々、歴史に「もしも」は無いが、まさにすべてが、もしも、もしも、の連続である。しかも誰が主役なのかよく分からない。もちろんホァン・カルロス国王(皇太子)が中心にいる?のだが、その陰に黒幕シナリオ・ライターの影が見える。登場人物各々が己の立ち位置を理解していたのかどうかも定かではない。彼らの選択が先を読んでの行動なのか、先を読めないがゆえの行動なのか、その辺りも不可解だ。スリル満点、まさにすべてが薄氷を踏むような危うい過程をたどりながら、一歩一歩、しかしドラマチックに、奇跡の民主化が進んでいく。
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政治には疎い私だが、彼らの人間ドラマにハラハラ、ドキドキ。終了後、市ヶ谷の駅まで歩きながら、受講生のお仲間と大いに盛り上がった。当時のスペインの新聞報道では、黒澤明監督「七人の侍」にあやかって「Siete samurais」「harakiri」という言葉が使われたという。ならば、この民主化を日本でドラマ化する場合、俳優は誰がいいか?というところにまで話が発展。国王は〇〇でしょう、いや△△あたりが向いているんじゃない?一番難しいのはフランコかなぁ、などと、ピーチクパーチク、駅に着いてもお喋りが止まらない。お一人が呟いた。「ねぇ、私達って歴女?」なるほど。。。夜の市ヶ谷にスペイン歴女現るの巻だ。

塾頭先生のライフワーク。本来であれば、スペイン政治やスペイン民主化の専門家が対象になるであろう内容を、私達のような門外漢にも分かりやすくお話しくださる、とても貴重な講座です。来月も楽しみにしています!
教養講座『スペインの民主化を振り返る』
「スペインの民主化を振り返る」第5回講義
「スペインの民主化を振り返る」第6回講義
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by Megumi_Tani | 2015-05-01 22:40 | ビバ!エスパーニャ! | Comments(0)