代役なし   

土曜日夕方、選挙戦最終日、ウグイス嬢の美しくハリのある声が聞こえてくる。「○○本人が最後のお願いに上がりました!」車から身を乗り出しマイクを握る立候補者ご本人「皆様にご挨拶させていただきます。あと一歩でございます」声が出ない。必死の思いは伝わって来る。しかし喉は連日の酷使に耐え切れずダウンだ。ウグイス嬢の代わりはいる。シフトを組むことも出来る。しかし候補者の代わりはいない。「本人」は、ただひとりである。声が枯れようが、つぶれようが、叫び続けるしかないのだ。

代役なし、という点では、演奏会も同じである。ある往年の名音楽家は、世界各国への演奏旅行の際、自分が食べたことのないものは、それがいかに高級かつ美味とされる食材であろうとも、本番が終わるまで決して口にしなかったそうだ。万が一体調をくずしたら舞台に穴を開けてしまうからだ。代役はいないのである。

故郷コンサート目前。準備、練習の日々が続いている。蒸し暑い夏、クーラーは喉の大敵である。室温を極めて高く!設定し、汗だくになって歌う。もくもくと歌う。なかなか体力の要る作業である。「くたびれた~」と思わず愚痴る私に、「代わってあげるわけにいかないしね」と友人が申し訳なさそうに言った。そう、本番だけではない。練習にも代役はいないのだ。本人が歌うしかない。ただひたすら、ひたすら…。ちょっと代わってもらえると、とてもとても助かるのだけれど。
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# by Megumi_Tani | 2009-07-13 08:19 | エトセトラ | Comments(3)

日記   

昔から日記をつけるのは苦手だ。何度かチャレンジしたが、止めてしまった。書く作業が嫌いなわけではない。ああでもない、こうでもない、と、自分の思いを書き残すのが嫌なのだ。折々の出来事だけを箇条書き風にすれば…と試みたこともあるが、それはそれで退屈で続かなかった。

自分の痕跡を残すのが嫌なのかもしれない。「あとかたもなく消えてしまいたい願望」があるのかもしれない。その秘かな願いの証しか?私は職業に反して、写真の数が極めて少ない。仕事で「写真を出してください」と言われると困る(関係者の皆さん、ごめんなさい)。ライブCD制作の時もひどく迷った。「作れ、作れ」と勧められ、やっと重い腰をあげた。

そんな私の歌修行日記「Hola!バルセロナ」連載が続いている。
http://www.e-yakushiyo.net:80/Hola_B.htm

年月を経たから書けるのか?懐かしい思い出だから書けるのか?日記のような、淡いセピア色の物語のような…。いろいろな方に「楽しみに読んでいますよ」と言っていただくが、実は、一番楽しませていただいているのは、私本人かもしれない。悪戦苦闘のドタバタ留学。だが、私にとっては宝物の時間である。

悔やまれることがある。当時の具体的な記録(例えば、地下鉄の回数券がいくらだったとか、パンをいくらで買ったとか…)があれば、日記の内容がより鮮明になっていただろう。そんな細かい数字は、年月とともに記憶の彼方に消えてしまった。残念である。ただ…、昔からソフトクリームが大好きな私。バルセロナ到着の数日後、誰の助けも借りず、初めてひとりで買ったソフトクリームが75ペセタだったこと!これだけは忘れられない。夕暮れのパセオ・デ・グラシア、デパート前の売り場、その値札まで目に焼きついている。
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# by Megumi_Tani | 2009-07-08 14:21 | エトセトラ | Comments(0)

Vaya con Dios   

年に何度か所用で出かける場所の近くに、由緒ある日本紙の老舗がある。落ち着いた色合いの様々な和紙、美しく結ばれた水引、便箋、封筒、趣向をこらした和紙の小物…眺めるのが楽しみだった。先日久しぶりに通りがかると、見事な筆字で「閉店セール」と掲示されている。驚いて中に入ってみた。商品の棚には、もうあちらこちらに空間が出来ている。「いい紙は筆をおろせば、すぐ分かるのよ」と言いながら、書家らしい方が高級半紙をまとめ買いしていた。申し訳ないことだが、これまで私は目の保養をさせていただくばかりで、この店で一度も買い物をしたことがない。しかし今日はささやかでも何か…と思い、棚にあった封筒を差し出した。店主は、それはそれは丁寧に包装してくださり、見ず知らずの私に「長い間ありがとうございました」と深々と頭を下げられた。「こちらこそありがとうございました。どうぞお元気で」と申し上げると「お名残り惜しゅうございます」と、少し潤んだ目で微笑まれた。思わず胸がいっぱいになった。

今、NHKカルチャーセンター八王子教室では「Vaya con Dios」を練習中である。「さようなら」の意だが、「con Dios~神様とともに」があることで、何となくホッとする。出会いに感謝し、相手の未来を信じ、願う心が秘められているような気がする。いつの時も「さようなら」は寂しい。「Vaya con Dios~ごきげんよう。あなたの幸せを祈ります」深い思いをこめて、さらりと言ってみたい。
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# by Megumi_Tani | 2009-06-22 23:11 | エトセトラ | Comments(6)

変わらぬ心   

何名か、二十年来の生徒さんがいる。結婚、離婚、病気、引越し、就職、転職…。人生の様々な場面に遭遇しながら、決して休むことなくレッスンに通い続けた。その中のひとりが「どんな時も、先生はいつも変わらず待っていてくれた」と、私に言ったことがある。その言葉を、そのまま彼女達に贈りたい。どんな時も変わらぬ心でレッスンにやって来た熱意、心意気、努力。一年や二年の年月ではない。これはもう師弟の枠を越えている。お互いの人生へのrespeto(敬意)、幸せを願う心がある。

私は、かなりトンチンカンな人間である。そんな私の歌を、沢山の人が支えてくれている。陰になり日向になり、どころか、ただ陰で黙って私の歌を信じ、温かく見守ってくれる人達。その変わらぬ心に励まされ、勇気づけられ、やっと歩いてきた。時空を越えて変わらぬ心、その見えない大きな力に支えられて、今がある。夏の故郷コンサートでは、普段は会えない懐かしい方々との再会が楽しみである。
http://www.e-yakushiyo.net/Tani_Megumi-IP-Hokkaido-01.htm

誰にだって、いろんな時がある。それはそれでいい。そんなことを越えて、変わらぬ心で生きていたい。変わらぬ心を大切にしたい。手のひらを反す、は、苦手である。そういえば「わたし、バカよね~♪」で始まる歌があった。タイトルは『心変わり』? 同じ道産子のあの歌い手さん、最近さっぱり顔を見なくなった…。
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# by Megumi_Tani | 2009-06-14 10:44 | 思い&想い | Comments(4)

言葉というもの   

昔から語学好きだ。子どもの頃は、テレビでアポロ宇宙船の月面着陸のニュースを見て「同時通訳」に憧れ、中学時代はハワイ帰りのネイティブのような先生の特訓を受けて英語が大好きになった。高校でも英語熱は冷めず、大学ではドイツ語にイタリア語、そうそう第三、あるいは第四外国語として、フランス語の授業も受けた記憶がある。そして卒業してからはスペイン語。歌にも言葉にもひと目惚れした私は、ただひたすら熱中し、ほかの外国語をすっかり忘れてしまった。

初めてスペインへ渡った時の私のスペイン語は惨憺たるものだった。しかし、歌のM先生は、いつも根気よく私のスペイン語に付き合い、語彙や文法の不足等々で言葉につまると、「つまり言いたいことは、○○○か?」と助け舟を出してくれた。何より「理解しよう」という先生の心が伝わるので、こちらも安心して話すことができ、結果的にスペイン語も上達したように思う。先生との意思の疎通が深まり、スペインの歌について、大きな教えを受けることができた。

考えてみれば、語学とは違う次元だが、日本で日本人同士が日本語で話していても、お互い心を閉ざしていれば話が通じない。これは、外国語で通じ合えないより、もっと寂しいかもしれない。

言葉というものは、使う者次第、使い方次第の生きたツールであることを、あらためて実感。
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# by Megumi_Tani | 2009-06-09 09:28 | 思い&想い | Comments(4)