いつも書いている通り、私はラジオ党だ。この○○党という呼称、最近はある意味あやういのかもしれない。阪神タイガースファン:虎党はれっきとした現役だ。しかし、この熱心なファン、愛好家を表すウィットに富んだことば:○○党には、あまりお目にかからなくなった気がする。ことばは時代を映す。もしかすると、「ウィット」 が生じるための心の余裕がなくなっているのかもしれない。
10月、あれこれ雑事をしながら聴いている(流れている?)ラジオ番組の時間割、番組内容に変化があった。ただむやみにゲラゲラ笑う番組が私は苦手だ。出演者全員がキャハハハ、アハハハ、ガハハハと笑っているけれど、声が笑っていない。空っぽの笑い声。声だけ立てて笑っていない顔が目に浮かぶ。演出なんだろうな、台本に書いてあるんだろうな、と察しつつ、疲れてしまう。疲れてまで聴くこと、ないよね(笑)
ラジオでの「声」は雄弁だ。上述の笑い声しかり。緊張した声、棒読みの声、強張った声、怒った声、感極まった声、絞り出した声、ふと安堵した声、え?と素朴な疑問を感じた声、媚びを売る声、不安そうな声、大好きなものについて語る声、何だかザワザワする声、聴いているだけで心地よい声…。人は、心とともに自然に声を発する。台本もデータも計算もない自然な声。聴く側もまたその声に秘められた想い、声の奥底に潜むものを自然に感じ取る。人間のもつかけがえのない豊かな能力。
数日前、昔どこかで聴いたことがある曲が流れてきた。
歌詞のなかで「ジプシー」が何度も出てくる。このジプシーということば。今は使えない。「ロマ」とせねばならず、スペイン語の歌詞を訳する際の悩みのタネだ。たとえそれがステレオタイプのものであるにせよ、ジプシーということばは、心に何某かのイメージを抱かせる。しかし、ロマではそうはいかない。ちなみに、この曲のジプシーの部分をロマに変えて歌ってみると、ローマ、ローマ、となり、架空の歌の舞台もスペインからイタリアに変わってしまう。あらら…。ことばとイメージ、ことばと心はどのように結びついているのだろう?
もっとも身近にありながら、よく分からない「ことば」について、言語脳科学者、酒井邦嘉先生がやさしく語ってくださいます。
NHK[『ラジオ深夜便』10月27日(月)午後11時~
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