毎日メディアカフェ『漱石とグラナドスの時代~スペイン歌曲浪漫』   

春爛漫、桜満開の4月1日、毎日メディアカフェ『漱石とグラナドスの時代~スペイン歌曲浪漫』が開催されました。
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会場の毎日新聞東京本社1F MOTTAINAISTATIONには、いっぱいのお客様。ともに1867年に生まれ1916年に没した夏目漱石とエンリケ・グラナドスの生涯をたどりながら、グラナドスゆかりの作曲家も含めたスペインの音楽、歌曲をたっぷりお楽しみいただきました。

毎日新聞東京版4月2日朝刊
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Facebook「毎日メディアカフェ」にアップされた文章です。
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 スペイン歌曲の歌手、谷めぐみさんの歌&トーク「漱石とグラナドスの時代 スペイン歌曲浪漫」が4月1日、毎日メディアカフェで開かれました。
 谷さんは大学で声楽を学んだ後、たまたま聴いたスペインの歌に魅せられ、バルセロナに留学し、日本では数少ないスペイン歌曲の歌手になりました。昨年7月、毎日メディアカフェで「スペイン歌曲の魅力を語る」という歌&トークをしたところ、好評だったため、再び企画されました。
 今回は、今年没後100年を迎えた文豪・夏目漱石(1867~1916)と、生年、没年が奇しくも同じであるスペインを代表する作曲家、エンリケ・グラナドスの生涯を紹介しながら、スペイン歌曲の魅力を語りました。
 漱石とグラナドス。どうして、そんな話にしたのか。谷さんはまず、その理由を語りました。「2年前に『スペイン浪漫』というタイトルでコンサートをしました。浪漫というのは、夏目漱石が字を当てたということで、漱石のことを調べたら、生年1967年とありました。どこかで見たことがあると思い、エンリケ・グラナドスと同じだったと分かりました。それで、没年を見たら、二人とも1916年に亡くなっている。それを発見した時には、どきどきしました。没後100年の2016年には何かしたいと願っていました」。心に温めていた企画がメディアカフェで実現したのです。
 グラナドスの最も有名な曲「スペイン舞曲第5番」を聴かせながら、グラナドスの生涯を語りました。「グラナドスは作曲家である前に、スーパー・ピアニストでした。お父さんが軍隊に入っていて、3~5歳にはカナリア諸島で暮らしていました。お父さんがけがをして、バルセロナに戻ったとき、ピアノを習い始めました。ピアノを弾く姿を見て、お父さんが『才能がある』と思い、軍の音楽隊の人に習わせました。10歳で早くもミニリサイタルを開いています。この年には、(著名なチェロ奏者)パブロ・カザルスが生まれました。師事した作曲家ペドレルはそれぞれの個性を伸ばす指導者で、弟子が多く育っています」。 
 恵まれたグラナドスの幼少時に比べて、漱石は生まれてすぐに養子になったり、第一高等中学校予科に入学したものの、翌年には肋膜炎のために落第するなど、苦難の時期を過ごしています。
 グラナドスは1883年にバルセロナ音楽コンクールで優勝。初リサイタルが大成功し、パリに留学することになります。「グラナドスはお父さんが亡くなり、カフェでピアノを弾くアルバイトをしていました。クラシックを弾いても客は喜ばないので、即興でいろいろな曲を弾きました。カフェでの仕事はとてもいやだったみたいですけれど、即興で弾く楽しさを知ったようです」
 その後、カタルーニャ演奏協会コンサートなどで、カザルスたちと交流を深めました。画家ゴヤの絵が好きで、「私はゴヤの心と絵に心を奪われた」という文章を残しているそうです。
 「グラナドスはロマンチストだけれども、後輩を育てようという気持ちも強く持っていました。アカデミア・グラナドス(グラナドス音楽院)を設立しています」
 1914年に第一次世界大戦が始まりました。グラナドスが作曲した「ゴイエスカス」のパリでの初演は大成功しました。これをオペラにするという話が持ち上がりましたが、それが立ち消えになり、次にはニューヨークで上演する案が出ました。
 「グラナドスは泳げないので、船の旅はしたくないと思っていたのですが、何とかニューヨークで上演したいため、行こうと決心したのです。 1人の女性をめぐって、男2人が決闘するという物語のオペラは大成功しました。ホワイトハウスの演奏会に招かれ、元々の船便をキャンセルしました。1916年3月の帰路で、英仏海峡を渡る船がドイツ潜水艦の魚雷攻撃を受け、妻とともに死亡しました。グラナドスの生涯を改めて調べて、最初は『もっと長生きして作品を作ってほしかった』と思いましたが、今は『帰りの船で良かった』と思います。行きの船だったら無念ですよね。ゴイエスカスが上演されて、大好評だったのだから、まだましだったと」
 漱石も同年、「明暗」を連載中に亡くなりました。
 「グラナドスの作曲はほぼ独学です。カザルスはグラナドスのことを『自分で音楽を作り上げた真の芸術家だ』と言っています。グラナドス夫妻の死後、カザルスはチャリティーコンサートを開いて、6人の子どもたちの養育資金を集めたそうです。スペインの音楽が華やかで、意気込みにあふれていた素晴らしい時代だと思います。気持ちがなごまされるぐらい、音楽家たちがお互いを大事にしていました。グラナドスが泳げないため亡くなったことから、彼の息子は自分も水泳をして、子どもにも泳ぎを教えました。2人とも、水泳のオリンピック選手になったそうです」
 谷さんにはグラナドスをめぐる大切な思い出があります。留学中に、当時70歳ほどで存命だった末娘ナタリアさんに会う機会があったのです。ナタリアさんの前でグラナドスの歌を歌ったところ、「日本から来たニーニャ(小さな子)がパパの歌を歌ってくれるなんて」と喜んだそうです。
 最後に、谷さんは「スペインの歌はいろいろな世界があります。フラメンコだけではない。スペイン歌曲の多様性を知ってほしいです」と呼びかけ、カタルーニャ民謡「聖母の御子」を、透明感のあるソプラノの美しい歌唱で聴かせました。 
 谷さんは9月19日、東京都渋谷区富ヶ谷のHakuju Hallで、第25回リサイタル「スペイン浪漫Ⅱ」を開催します。チケット発売は5月20日から。リサイタルでは、前半は全てグラナドスの曲、後半はグラナドスの周辺の作曲家の曲を歌うそうです。 谷めぐみの部屋
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昨年に引き続き、メディアカフェのスタッフの方々には大変お世話になりました。本当にありがとうございました。

「私の音楽は私の中から生まれる」グラナドスが残した言葉です。いわゆるステレオタイプのスペイン音楽ではない、グラナドス独自の音楽、ロマンティックな音の世界はとても魅力的です。初期のシンプルな曲集から最後の傑作『ゴイエスカス』に至るまでの変遷、音楽家としての人生と悲劇の最期、ゴヤの時代への憧れ、隠されたエピソード…。「映画にしたいようなドラマティックなお話ですね」終了後、お客様のおひとりが熱く語ってくださいました。

さて、昨夜、初めて公開させていただいたものがあります。1985年、当時70歳代でまだお元気だったグラナドスの愛娘、ナタリアさんにいただいた直筆のサインです。彼女のお宅に伺い、師の伴奏で『昔風の粋な歌曲集』を演奏させていただくと、、「東洋のniñaがパパの歌をこんなに上手に歌うなんて!」と、目にいっぱいの涙をためて抱きしめてくださいました。懐かしい、かけがえのない思い出です。

「心をこめて Megumi Taniへ~ナタリア・グラナドス」

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by Megumi_Tani | 2016-04-02 13:02 | 講座/セミナー | Comments(0)

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