第2回を聴講させていただいた。
今回の講師は、作家の
阿刀田高先生。「耳で聞く小説、目で読む小説」と題し、小説とは? 読書とは?図書館とは?朗読とは?ベストセラーとは?推理小説とは?モチーフとは?漫画と小説の違いとは?etc,etc。多岐にわたる内容を自由にユーモアたっぷりに語ってくださった。
先生は子どもの頃、ご家族でよく「ことば遊び」をされたそうだ。「オランウータン」という名前を覚えたのは、その「ことば遊び」の中で「オ」がつく動物の名前をいち早く言うためでした、と、懐かしそうに語っておられた。「ことば遊び」への関心が「言葉への関心」となり、やがて読書へ心が向かい、自然に読書好きになられたそうだ。
「自分の好きな言葉」を見つけることの大切さもお話くださった。ただ単に耳で聞いて意味が分かるだけではなく、その言葉を話せる、使える、つまり自ら活用できる言葉にすることが鍵だ。先生のお好きな言葉として「畢竟」「つきづきしい」「一期一会」「粛々」を挙げられた。「畢竟」は中勘助『銀の匙』から、とのこと。そういえば…三十数年前、単身スペインに渡る際、「あちらで日本語が恋しくなったら読んでください」と、とある知人がプレゼントしてくれたのが『銀の匙』だった。バルセロナのアパルタメントの部屋で何度も読んだっけ…。
“小説とは何か” についてのアフォリズムとして、小林信彦(谷崎潤一郎の言葉の引用)、伊藤整、坪内逍遥、山口瞳らによる箴言をご紹介くださった。ほぼすべてが ”歌とは何か” に置き換えられるようで興味深い。ちなみに、
伊藤整は、北海道の母校の大先輩だ。
最後に、朗読の際の句読点の扱いについて、受講生さんから質問があった。「同じ作品でも ”文字として書かれたもの” と ”朗読されるもの” とでは、その在り方が違う。朗読する者は、作家に一定の尊敬を保ちながら、自ら工夫を凝らす必要がある」と阿刀田先生。奥様で朗読家の
阿刀田慶子 氏が「文章の心をすくい取ること、自分の朗読を見つけることが大切です」と纏められた。
歌にも似たようなことが言える。” 書かれたもの ” と ” 演奏されるもの ” としての楽譜の在り方には違いがある。書かれたものとしての楽譜にいかに命を吹き込み、その作品にふさわしい最良の姿でこの世に顕現させるか。歌い手は、作曲家、作詞家に最大の敬意を保ちながら、ああでもない、こうでもない、と、試行錯誤を重ねることになる。おそらくは、その始まりも終わりも分からないプロセスの中から ”自分の歌” が形成されていくのだろう。「メグミはメグミの歌を歌え」と、バルセロナの師によく言われたものだ。まさにアフォリズム、金言だったなぁ…。
何とも粋なお話しぶり!
「耳で聞くエッセイ」を楽しませていただいた上質な時間でした。
こんな動画を見つけました。
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