「日本語で歌ってくれたらなぁ…」お客様が呟かれることがある。お気持ちはよ~く分かる。リサイタルのホールにいらっしゃるお客様の90%?いや99%?はスペイン語をご存知ない。これはスペイン語に限らず、日本で外国語の歌を歌うに際しての宿命だろう。そこで「訳詞」が登場する。オリジナルの歌詞をそっくりそのまま翻訳して歌うことは、文法的にも言語構造からも不可能だ。そこで、意訳し、曲のイメージにぴったり且つ旋律にスムーズに乗る単語を探し、単語数を調整し…という膨大な作業が必要になる。これはもう ”創作”の世界。生まれた作品は、旋律は同じでも、創作された日本語詞による別の作品になる。
スペイン歌曲をスペイン語で歌うことを大切にしてきた。歌詞と旋律は一心同体、この歌詞にしてこの旋律あり、あの歌詞にしてあの旋律あり、と、確信しているからだ。例えば、ビートルズのかの有名な「Yesterday」を「きのう~♪」と歌い始めれば、途端にシラケてしまうだろう。日本人なら誰もが知っている古謡「さくら」。スペイン語では桜を「cerezo(セㇾソ)」という。「さくら~さくら~♪」は「セレソ~♪セレソ~♪」だ。しかも”セ”は舌を軽く噛んで発音しなければならない。あらら…。アの母音で始まりアの母音で伸びる”さくら”、エの母音で始まりオの母音で伸びる”セレソ”。こんなところにも響きの大きな違いがある。
作品のひとつひとつ、作曲家、作詞家ひとりひとりへのリスペクトを込めて原語:スペイン語で歌う。ここは日本だから、歌詞の意味がダイレクトに伝わらない。少しでも内容をご理解いただくために、曲間にMCを入れたり、歌詞大意訳をお渡ししたり…。でも私は、もっと大きなところで信じている。”人間の歌”には、言葉の制約をポーンと乗り越える力がある、と。歌う歌い手も人間、お聴きくださるお客様も人間。”人間の歌”を共に味わえる瞬間が必ずある、と。
なかなか実現できない高みだけれど、今回もその頂を目指し、大切に歌ってみたい。