スペインのどこに住むか、どこで学ぶか、どこで働くか…。この”どこ”によって"スペイン"の印象は大きく変わる。私にとっての"どこ"はバルセロナだった。カタルーニャ州の州都、芸術の街、世界屈指の観光都市でもある。
スペインの言語事情は複雑だ。地理的要素はもちろん、波乱万丈の歴史、時々の政治事情に激しく翻弄されてきた。現在は、日本でいうスペイン語のほかに、カタルーニャ語、ガリシア語、バスク語、更に、カタルーニャの少数言語であるアラン語を含め、
5つの公用語が認められている。日本でいうスペイン語は、カスティーリャ語を指す。
バルセロナに渡った私は、日本語と母音が比較的似ているとされるカスティーリャ語の歌曲に始まり、やがてカタルーニャ語の歌曲、民謡も歌うようになった。カタルーニャ語はカスティーリャ語に較べて母音の数が多く、発音も一筋縄ではいかない。厳密にいえば、カタルーニャ語のなかでも地方によって違いがある。単語もカスティーリャ語によく似ているものもあれば、まったく違うものもある。外国語の読み方をカタカナで表記することにはそもそも無理があるが、それでもまだある程度許される?範囲にあるカスティーリャ語に較べて、カタルーニャ語をカタカナで表記することは不可能に近い。
今回のリサイタルに登場する音楽家のなかにはカタルーニャ生まれの人が多くいる。フェデリコ・モンポウはカスティーリャ語でFederico Mompou、カタルーニャ語では Frederic Mompou、と、綴りが違う。もちろん読み方も違う。同様に、Enrique Granadosは Enric Granados、Victoria de los Ángelesは Victòria dels Àngels。モンポウもグラナドスもビクトリア・デ・ロス・アンヘレスも、カスティーリャ語による読み方、カタカナ表記がほぼ定着している。
悩ましいのが、Xavier Montsalvatgeだった。日本では長年ハビエル・モンサルバーチェと紹介されてきた。しかし、いかにもカタルーニャ人らしいこの綴りをハビエル・モンサルバーチェと表記することには無理があるのではないか…。帰国直後、そう考えた私は、とあるコンサートのパンフレットの原稿にモンサルバッジェと記してみた。「誰ですか、これは?」マネージャー氏から即クレームが付いた。日本で知られている表記にしてください、通じなければ意味がありません、と。う~ん、そんなものかなぁ、と、まだ若かった私は葛藤しつつ、おじ様マネージャー氏のアドバイスを受け入れた。
以来、喉の奥に小骨が引っかかっているような思いを抱えながら、ハビエル・モンサルバーチェと表記を続けて来た。ところが、しばらく前、スペイン語学専門の大学教授の方が、カタルーニャ語のカタカナ表記について、実に詳しく分析、解説してくださった。なるほど!まさに膝を打つ思い。長年の雲が晴れた。教授先生への感謝とともに、よし!次の機会には表記を変えよう、と、秘かに決意した。その次の機会が今回訪れた。シャビエ・モンサルバッジェ。シャビかシャビエか。これも悩ましいところだが、モンサルバッジェは、Montsalvatgeに、より近いのではないか。
もしもガリシアに行けばガリシア語の歌を、バスクに行けばバスク語の歌を歌っていたかもしれない。行った先がたまたまバルセロナだったおかげで、カタルーニャ語による歌曲の最高峰モンポウ作曲「君の上にはただ花ばかり」、世紀末の香り漂うグラナドスの歌曲、叙情豊かなトルドラ(Toldráのカタカナ表記。これも悩ましい例)の作品、カタルーニャ民謡の数々、とりわけ「鳥の歌」をレパートリーにすることが出来た。街や人とのご縁の不思議を思う。そして、神様にそっと感謝したくなる。
カタルーニャ民謡集(マヌエル・ガルシア・モランテ編曲)
第1曲が「鳥の歌」です。
ご来聴をお待ちしています♪