私のバルセロナの師マヌエル・ガルシア・モランテは、ビクトリア・デ・ロス・アンヘレスの伴奏者だった。何の予備知識もないままバルセロナに渡った私は、その事実を知り、驚愕した。スペインが生んだ世界的大歌手ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス。渡西前、スペイン歌曲に関する資料も情報も楽譜も極めて少ないなかで、私が頼りにしていたのは、ビクトリア・デ・ロス・アンヘレスのスペイン歌曲10枚組LPレコードだった。あの、あのビクトリア・デ・ロス・アンヘレスの伴奏者とは…。
演奏会本番に向けてのリハーサルは、歌い手とピアニストにとって、ある意味神聖な時間だ。単に音を合わせるのみならず、この時間の様々なやりとりから二人の音楽が生まれてくる。「今からビクトリアのリハーサルに行く」という師の言葉を聞くたびに、あの!ビクトリア・デ・ロス・アンヘレスと掛け替えのない時を過ごし、音楽を創ることが出来る師を仰ぎ見る気持ちになった。「日本人のソプラノが勉強に来ている」と、師は私のことをビクトリアに伝えてくれていた。帰国の際には、師を通じて、直筆サインと「これからも長くスペイン歌曲を歌ってね」とのメッセージをいただいた。
帰国後、ビクトリアと師の来日が数年間続いた。東京に居ながらにして、毎年二人の演奏を聴くことが出来た。今考えても、まさに奇跡的幸運!しかも奇跡は奇跡を呼び、ひょんなことから、ビクトリアのマスタークラスの通訳を務めさせていただいた。地方での数台の車を連ねての移動、数々のハプニング…懐かしい。
月の輝く夜、アルベニス誕生の町カンプロドンで開かれた二人の演奏会。そのリハーサルは忘れられない。ビクトリアと師は、ゆったりとリラックスした様子で、あれこれ話しながら音合わせを繰り返す。暗い客席には、私ひとり。弟子特権?でリハーサルをみることを許されたのだ。二人が創り出す世界を感じようと、私は全神経を集中していた。時が止まったような美しい時間だった。
二人の来日中、夜遅くホテルに戻ったことがあった。前後関係は忘れたが、その場にいたのはビクトリアと師と私の三人。師は限りなく謙虚な人で、ビクトリアを深く敬い、彼女に対して常に細やかな気遣いを見せていた。演奏でどれほど見事に支えても、ビクトリアへの ”献身” の姿勢は決して揺るがなかった。師の弟子である私は、言わずもがな、である。この時も、疲れているビクトリアの邪魔にならぬよう一刻も早く失礼しよう…と、タイミングを探していた。突然彼女が「お腹が空いたわ。何か食べたいわね」と言い出した。レストランのラストオーダーの時刻はとっくに過ぎている。雑用係の私の出番だ。ホテルに必死で掛け合い、カフェテリアで炒飯を出してもらえることになった。ホッとして帰ろうとすると、「めぐみ、なぜ帰るの?」とビクトリアが言う。「ありがとうございます。でもお疲れでしょうから、私はこれで失礼します」「何言ってるの!食べて帰りなさい」「はぁ…」いいのかなぁ?と師の方を見ると、満面の笑みでニッコリ頷いてくれた。かくして、私たち三人は、誰もいない夜ふけのカフェテリアで、おしゃべりしながら一緒に炒飯を食べた。
憧憬の人、ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス。凛として、気取らず、親しみやすく、それでいて圧倒的オーラがあった。生誕100年記念の今年、リサイタルを開けることになってよかったな、と思う。たくさんの思い出を胸に、心を込めて歌いたい。