カテゴリ:思い&想い( 44 )   

春の別れ   

先日知人とお目にかかった折、偶然、Aさんの話題になった。よもや知人がAさんをご存知とは知らなかった。ビックリ!あれこれ話に花が咲いた。

その夜、帰宅すると、Aさんの訃報が届いた。つい数時間前に、知人と思いがけずAさんの話をしたばかりだ。驚いた。Aさんらしい、美しく潔い旅立ちだったという。最後にお目にかかったのは、数年前のとあるパーティーだった。別れ際、「今日は貴女に会えてよかった」と微笑み、改札口を抜けて行った白いコートの後ろ姿…。

こんな思い出もある。ある夜、本棚を片付けていると、するりと1枚のCDが滑り落ちた。あ、このCD…。昔、懇意にしていたBさんからいただいたものだ。CD棚からいつの間にか消え失せ、ずっと行方不明になっていたのだ。こんなところにあったとは!どんなに探しても見つからなかったのに…。とにかく出てきてよかった。Bさん、大病をされたと聞いている。どうされているのだろう?お元気だろうか?…。翌日、知らない方からお電話をいただいた。Bさんの息子さん、だった。Bさんが亡くなられたそうだ。もしもの時に連絡してほしい人、として数名のリストを息子さんに託されていた、その中に私の名前があったという。「見ず知らずの方に突然お電話して申し訳ありません」と仰る息子さんに、「とんでもありません。よく知らせてくださいました」と、言葉が見つからなかった。昨夜、ふいに出てきたCDは、Bさんの「さようなら」の証しだったか…。

春の別れ。たとえ姿は見えなくなっても、心は遥かにつながっている。
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by Megumi_Tani | 2018-03-27 23:56 | 思い&想い | Comments(0)

七年目の3.11   

今日で東日本大震災から丸七年。どういうわけか、ここ数年の3.11にも増して心が重い。

先日は、福島から情報発信を続けているフリーアナウンサー、大和田新さんの講演を拝聴、あの日の浪江町の消防団員の想いを記録したアニメ「無念」をみせていただいた。

「あの震災は、東日本大震災、ではなく、東日本・津波・原発事故大震災です」と、大和田氏が仰るのを聞いて、七年前の想いが蘇った。発災当初、震災には、東北地方太平洋沖地震、東北関東大震災 等の呼称が用いられていた。それがほどなく「東日本大震災」に統一する、と発表された。あの日の凍てつく寒さ、たしか東北では夜に雪も降ってきた。異様な状況下、広い体育館に石油ストーブが一つか二つしかない、その厳しさは、北国育ちの者でなければ実感できないだろう。その後も次々と起きた不測とされる出来事、黙々と耐える人々…。「東日本」にすべて含まれる、という理屈は分かるものの、震災の名前から「東北」が消えることに、秘かな無念を感じたものだった。

あらためて、復興への祈りを捧げたい。

今年も、YAHOOが、こんなサイトを立ち上げています。


一日も休まずに新聞を発刊した、地元紙の記録
河北新報のいちばん長い日
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by Megumi_Tani | 2018-03-11 14:17 | 思い&想い | Comments(0)

「恩師」   

太鼓の梅屋巴さんが主催されるコンサート『二つの月~Dues llunes Concert』にお邪魔した。副題に「深い感謝を込めて~amb molt Agraïment」とある。巴さんのお師匠様の三回忌に捧げるコンサートだった。黒いお着物、たっぷりと結い上げられた髪、美しい所作、さりげない阿吽の呼吸から繰り出される演奏…。普段、邦楽にはほとんど縁がない私も、存分に楽しませていただいた。

ご縁の糸は不思議だ。当日会場で、出演者のおひとりが小樽の高校の後輩と分かった。受付で「あぁ潮陵に…」と、ふたりで校歌を口ずさみ、巴さんもビックリ!実は私は数日前に高校の同期会に出席。皆で校歌を大合唱してきたばかりだった。さらに驚いたことに、この日の別の出演者のお母様も同窓生とのこと。こんなことってあるのかしら\(◎o◎)/「El mundo es un pañuelo~世間は狭い」なぁ。

「恩師に捧げるコンサート」ということで、コンサート前半では、出演者のお一人おひとりがご自分の恩師について語られた。芸の上だけでなく、人生そのものに深く大きな影響を与える「恩師」という存在。皆さんのお話を伺いながら、私自身もこれまで節目、節目で出会った大切な方々のことが胸をよぎった。声楽へ進むことを強力に奨めた高校の音楽の先生、当初は留学など考えもしなかった私に渡西を強く強く奨めた師、そしてバルセロナの師。いつも誰かに導かれ、いつも何が何だかよく分からないまま、ただ夢中で歩いて来た。バルセロナの師は今年傘寿を迎え、元気で活躍している。これもまた偶然昨日、地元のラジオで彼のインタビューが放送された。カタルーニャ語の響きをどうぞ。
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巴さんとは、フェイスブックの共通のお友達を通じて知り合った。以前、バルセロナでお仕事をされたことがあるそうで、その時の印象を鮮明に覚えていらっしゃる。彼女主催のコンサートのタイトルも副題もカタルーニャ語。このカタルーニャ語に関する質問が時々私のところに飛んでくる。今回は時期が時期なので、お客様にほんの少しカタルーニャのご紹介をしましょう、ということになった。そんな顛末諸々が動画配信されていました。11分頃から私達のトーク。その後、巴さん達の演奏をお楽しみいただけます。

母校の風が吹き、恩師の風が吹き…。リサイタルまでちょうど一ヶ月。今の私に出来るベストの演奏をお届けしたい、と、あらためて思う。

第26回リサイタル
2017年11月19日(日)14:00開演@Hakuju Hall
ご来聴をお待ちしています!

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by Megumi_Tani | 2017-10-19 13:00 | 思い&想い | Comments(0)

渋谷駅とスーツケース   

午後のJR渋谷駅。ホームへの階段を三段ぐらい上ったところで、外国人旅行者と思しき女性が途方に暮れている。スーツケースが重くて、持って階段を上がれないのだ。いわゆる爆買いオーラは感じられない。いかにも素朴に困り果てている様子。エスカレーターもエレベーターも近くには無い。とにかくその階段を上るしかないのだ。思わず、助っ人を買って出た。私も大きなトートバッグを抱えていたが、それでも片手は空いている。一人より二人の方がマシだろう、と。ところが、このスーツケースが予想以上に重い。お腹にグッと力を入れて、二人で持ち上げる。ちょっと頭クラクラ。それでも何とか三、四段上ったところへ、横からサッと誰かが現れた。見ると、スーツ姿のダンディな外国人のおじ様だ。重いスーツケースをあっという間に一人で持ち上げ、階段を上り、ホームまで運んでくれた。「○△×~○△×~」何語かさっぱり分からないけれど、たぶん「ありがとう」らしき言葉を彼女が繰り返すうちに、ダンディおじ様は、もうさっさとホームの先へ向かっている。Thank you~~!! 遠ざかる背中に慌てて叫ぶと、ふり向き、ニッコリ笑って手を振った。


「渋谷駅とスーツケース」には、忘れられない思い出がある。スペイン留学を終えて帰国した時のことだ。まず、成田に着くと、私のスーツケースが消え失せていた(後日、モスクワの空港に放られていたことが判明)。一週間後、運よく、誠に運よく成田に届いた、今日の彼女に負けず劣らず重いスーツケースを引きずり、渋谷にたどり着いた。渋谷駅での移動、階段である。重い、とにかく重い。中には大切な楽譜が入っているのだ。一段持ち上げてはふぅ~、また一段持ち上げてはふぅ~という具合。それにしても…。まぁ見事なほど誰も助けてくれない。チラッと一瞥して通り過ぎる人は何人もいたが、皆、見なかったことにして?通り過ぎてしまう。スペインでは考えられないことだった。イヤ味な外国かぶれになる気は毛頭ないが、それでも、あぁここは日本よ…と、ちょっぴり情けない気がしたものだ。


今日の渋谷駅。広い階段には、もちろん大勢の人、人、人…。元気そうな、少なくとも私より力がありそうな若者も沢山、沢山いた。しかし、あの困り果てている外国人女性に手を貸そうとする人はいなかったし、必死な彼女と私を助けてくれたのは、外国人のおじ様だった。なんだかなぁ。。。


東京オリンピックに向けて、ボランティアをしましょう、とか、外国語を学びましょう、とか、声高らかに色々呼びかけられているけれど、日常の、ごく普通の場での相手への共感、気働きこそ、コミュニケーションの基本のキでは?

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by Megumi_Tani | 2017-05-16 22:19 | 思い&想い | Comments(0)

六年目の3・11   

昨年の3月11日は何をしていたか?一昨年の3月11日は何をしていたか?ちっとも思い出せないのに、六年前の3月11日、出先で何が起き、どこを彷徨い、どうやって家にたどり着いたか、克明に覚えている。忘れてはいけない、風化させてはいけない、と、さかんに呼びかけられているが、私個人の気持ちを言えば、とても忘れることなどできない。東京に住む者でさえこの有様だ。まして被災地の方々は…と思うと、言葉が見つからない。時間の経過とともに諸課題が複雑化し、あれこれ語ることが難しくなっているような気がする。復興を、ただただ祈りたい。

Yahoo! JAPANが、こんなサイトを立ち上げています。
クリックが支援になります。3月11日23時59分まで。
3.11 応援企画『3.11、検索は応援になる。』
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東日本大震災復興支援『いい音楽、届けようプロジェクト』
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2011年4月、外国人演奏家の来日キャンセルが相次ぐなか、ドミンゴが約束通りやって来てくれた。彼の温かいメッセージと、アンコールの「ふるさと」、忘れられない。
このブログで何度もご紹介しましたが、六年目の今日再び。


そして、もう一人。4月に来日してくれたフェリシティー・ロット。静かな祈りです。

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by Megumi_Tani | 2017-03-11 19:51 | 思い&想い | Comments(0)

熊本地震から一週間   

熊本で大きな地震が起きて、今日でちょうど一週間が過ぎた。東に、南に、震源が移動し、震度7を筆頭に、震度1以上の地震が700回を越えている。想像を絶する状況に言葉が見つからない。

東京では、私を含めて、東日本大震災の記憶が蘇った人が多い。あの時に学んだ様々な教訓を胸に、静かに黙って祈りたい。
【随時更新】熊本支援、私たちにできることは
熊本地震で、善意が「第二の災害」を引き起こさないために

これがきっかけで東北に目が向けられなくなることを懸念している。ささやかでも変わらぬ継続が
大切だと思う。『復興デパートメント

時を同じくして、エクアドルでも大地震が起きた。『エクアドル地震、死者272人に

世界中の平穏を祈らずにいられない。
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by Megumi_Tani | 2016-04-21 21:35 | 思い&想い | Comments(0)

3月11日金曜日   

3月11日。5年前の今日も金曜日だった。乗っていた電車が突然大きな衝撃を受け、ゴンドラのように揺れた。寒風吹きすさむタクシー乗り場での長い列、諦めて乗ったバスは行き先も定かではない。やがて大渋滞に巻き込まれ、バスは見知らぬ街の見知らぬ道で立ち往生した。為すすべもなく窓の外を見ると、両側の歩道を、おびただしい数の人が、あたかも隊列を組んだかのように、整然と、黙々と歩いている。街灯のオレンジ色の光に照らし出されたあの異様な光景は忘れられない。人に尋ねてバスを乗り継ぎ、乗り継ぎ、最後は隣町から歩き、夜9時30分頃、やっと住む町にたどり着いた。自宅近くのコンビニに寄ると、食べ物が無い…奇異。自宅でテレビをつけて、はじめて大震災と知った。

その後に起きた様々なこと。繰り返す余震の恐怖、悪夢の計画停電、消えた食料、乾電池、トイレット・ペーパー…。町の水から放射能が検出され自販機の前にできた長蛇の列、僅かに入荷したお米や懐中電灯に群がる人々…。「皆さん、物資は明日も届く予定です。今必要なのは、懐中電灯でも乾電池でもなく、お一人お一人の落ち着いた行動です!」ホームセンターのおじさんが声を枯らして叫んでいた。恐怖、悲しみ、怒り、不安、不信、デマ、無関心…。目に見えるもの、見えないもの、両方の大いなる何かがガラガラと音を立てて崩れていく感覚を覚えた。初めての経験だった。そして、更にその後に起きたこと、起きていることに、どうしようもないやり切れなさを感じ続けている。東京在住の私でさえこうだ。ましてや…。

風化など、ありえない。5年目の今日、ささやかな祈りを、あらためて、心から、捧げたい。


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by Megumi_Tani | 2016-03-11 01:42 | 思い&想い | Comments(0)

哀悼   

とある方とのお別れに寄せて


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by Megumi_Tani | 2015-09-20 00:39 | 思い&想い | Comments(0)

1985年、夏   

今年の夏は本当に暑い。今月初め、東京の最高気温が37.7℃だった日は参った。普段はありえないほど汗をかき、喉が渇くので、出先で水やお茶を飲み続け、夜にはお腹が水疲れ?して、何も食べる気がしない。わたしゃ道産子よ~(^^;;

話は飛躍するが、こうなると、どうにも2020年の東京オリンピックが気にかかる。気温35℃で、アスファルトの路面温度は55~60℃にもなるという。そんな場所を42.195キロも走ったり、競歩のようにひたすら道に貼りつくように歩いたりして、大丈夫なのだろうか?沿道で応援する人達はどうなる?舗装技術を工夫し、各所でミストを施しても、天然のお日様には敵わないだろう。自然のパワーを忘れていないか??炎天下、もしも何かあったらどうするのだろう…。

炎天下、といえば、今度は話が30年前に遡る。1985年7月7日、東京はカンカン照りの晴天だった。何故そんなことを覚えているか、というと、私がスペインから帰って来たのがこの日、つまり30年前の7月7日だったからだ。それだけなら別にどうということもないのだが、成田に着いてみると、バルセロナで出発時に預けたスーツケースが無くなっていた。まだベルリンの壁が崩壊する前の話だ。「モスクワ空港に荷物が残っていれば届くかもしれませんが、保証はできません。もしも東欧圏に行ってしまっていたら諦めてください」と、カウンターで冷たく言われ、呆然とした。

演奏家にとって楽譜は宝物だ。スペインで手に入れた楽譜すべてを抱えて帰りたかったけれど、まさか全部手荷物というわけにはいかず、絶対に無くなってほしくない楽譜だけをスーツケースに詰め、他は祈るような気持ちで船便で送った。その「絶対に無くなってほしくない楽譜」を入れたスーツケースが無くなっている。しかも出て来るかどうかも分からない。マエストロ・モンポウにサインしてもらった『夢のたたかい』、グラナドスの末娘、ナタリアさんにサインしてもらった『昔風の粋な歌曲集』、ガルシア・モランテ先生が感謝のメッセージを書き込んでくれた『カタルーニャ民謡集』etc。あの掛け替えのない楽譜が出て来なかったら…。

Tシャツにジーンズ。機内持ち込みのショルダーバッグひとつで炎天下の東京に放り出された私は、右も左もよく分からずヨロヨロ、ウロウロ。ショックで頭がボーっとしていた。真っ青な夏空、太陽がジリジリと照りつけ、とにかく暑かった。(それでも今より気温は低かったに違いない)

ビジネスホテルで待機すること一週間。空港から連絡が入った。スーツケースが出て来たという。即、成田まで受け取りに行った。案の定、中は開けられていたが、中身は無事だった。(まぁ音楽家以外の人にとって楽譜は何の価値もない)。私を含めて20人分の荷物がモスクワ空港の隅っこに放られていたそうだ。

やっと帰って来たスーツケースを大事に抱えて北海道の実家に帰った。お盆明けには東京へ、と、準備をしているさなかの8月12日夕方、日航ジャンボ機墜落事故が起きた。速報で流れたカタカナの乗客名簿の中に大阪の知人と同じ名前を見つけ、背筋に冷たいものが走った。

以来、7月7日と8月12日は、夏の忘れられない日付になった。今年の7月7日は鈍い曇り空。催涙雨~織姫と彦星が流す涙の雨~が降りしきっていた。そして今日、8月12日。御巣鷹山のニュースに、あらためて30年の年月を思う。

谷めぐみ30周年記念リサイタル《スペイン わが心の歌》
2015年10月17日(土)午後2時開演@Hakuju Hall
プログラム詳細、チケットご購入はこちら ⇒ 《谷めぐみの部屋》

ご来聴をお待ちしています060.gif

1985年の聖家族教会
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by Megumi_Tani | 2015-08-12 21:46 | 思い&想い | Comments(0)

あの日あの時   

4年前の3月11日。
あの日も寒かった。仕事から帰る電車が大きく揺れ、知らない町のバスを乗り継ぎ、乗り継ぎ、最後は歩いてやっと家にたどり着いた。吹きすさぶ寒風、大渋滞でまったく動かないバス、オレンジ色の街灯の下、道の両側を黙々と歩く長い長い人の列、駅から締め出された人でごった返すロータリー、何か食べるものを、と、寄った近くのコンビニのからっぽの棚…。帰宅してテレビをつけて、初めて、東北で何が起きたかを知った。

その後は、大混乱だった。スーパーから生鮮食品が消え、やがてヨーグルトもカップ麺も消えた。乾電池もトイレットペーパーも無くなった。水から放射能が検出された時には、自販機の前に長い列が出来た。止まぬ余震、そして、計画停電。日が過ぎるうちに、テレビの映像を見られなくなった。そして、遠く離れた地に住む人のちょっとしたひと言にひどく傷ついた。小さいけれど深いその傷は、今でも胸の奥に刺さっている。

東京に住む者でさえ、こうなのだ。ましてや、被災地の方々は…。年月とともに複雑化する問題、特に、心の問題が気にかかる。

出来ることはあまりにも小さい。でも、どこまでも心を寄せて、黙って祈り続けたい。
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by Megumi_Tani | 2015-03-11 23:21 | 思い&想い | Comments(0)