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『天地悠々』夏の上映会   

春にご紹介させていただいた、映画『天地悠々 兜太・俳句の一本道』。
俳人・金子兜太さんが永久の旅立ちをされる直前までを丁寧に記録、「平和」への最期のメッセージを伝える貴重なドキュメンタリーです。

★夏の上映会が開かれます。
日時:2019年8月17日(土)13:30開映(12:30開場)
会場:明治大学駿河台校舎グローバルフロント棟1F
参加費:資料代1,200円
お申し込みは、info@tota-tenchiyuyu.com まで。
(先着200名にて締め切り)

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by Megumi_Tani | 2019-07-17 23:04 | エトセトラ | Comments(0)

第2期 連続講座「声の力を学ぶ」第4回   

元NHKアナウンサー室長山根基世さんが主宰される「第2期『声の力を学ぶ』連続講座
第4回を聴講させていただいた。
★第1期のレポートはこちら ⇒ 第1期『声の力を学ぶ』連続講座

今回の講師は、現代日本を代表する作曲家のひとり、細川俊夫先生。「声の力-私の音楽において-」と題し、ご自身の音楽における「声」、日本の伝統音楽における「声」、声のカリグラフィー(書)、音のいのちとしての「声」、始原の「声(歌)」等々、どこまでも「声」を求め「声」を究める先生の音楽世界を、多彩な音と映像を交えてご紹介くださった。

18世紀から19世紀にかけて、調性のある平均律の音楽:構築された音楽が世界を制覇し、世界中の民俗音楽は衰退してしまった。20世紀になると、それまで表現できなかったものを表現しようとする動きが起き、西洋音楽は無調の時代を迎える。それから約百年。先生がベルリンに留学された1976年当時、西洋の音楽はすでに行き詰まり、民俗音楽が力を盛り返していた。そんな時世に、日本を遠く離れたベルリンで能を鑑賞し、お琴を聴き、先生は、初めて日本の伝統音楽を「音楽」として聴くことが出来たという。

日本固有の文化を捨て去り、平均律による構築された音楽を絶対の基とした、わずか150年ほどの、日本独自の、極めて特殊な西洋音楽の歴史。その根底には、圧倒的な西洋崇拝がある。本家本元の西洋で、その絶対の基であるはずの構築された音楽がいかに行き詰ろうと、日本の西洋崇拝は厳として揺るがない。しかしそれでも、1960年代に入ると、ようやく日本(東洋)独自の音楽が生まれ、西洋にもそれらを受け入れる素地が出来た。第一世代の旗手は、武満徹、尹伊桑だ。二人に続く第二世代の作曲家として、先生は、自分の声(音楽)、自分の音楽の根源への探求を続けられている。

真言声明との出会いから創案された声のカリグラフィー(書)。美しい。ひとつの音がいのちを持ち、音そのものとして存在する世界。余白:間があるから声が在り、声が在るから間:余白がある。始まりも終わりもない世界。混沌開基の一点。

「恋歌」(1986)は、まさに声とギターのカリグラフィーによる作品。画布にみたてた空間に揺れるギター、寄り添う声。両者は二つでありながらひとつになり、彼方へと流れていく。言葉は発音することによっていのちを得、歌うことでより躍動し、やがて混沌開基の一点へ向かう。

先生は、楽器を声の延長と定義される。バスフルートによる「息の歌」は、音になる以前の息、精霊としての息、声の根源にあるものとしての息が奏でる無言歌、言葉なき歌。

武満徹へのレクイエムとして書かれた「歌う木」では、自然の音、自然い近づく音を歌うことで自然の一部になる、というかつて日本の音楽が理想としたものが表現された。「すでに在るもの:音の河を実現することが作曲だ」という武満の言葉が紹介されている。

オペラ「二人静」では、現代の悲劇の象徴としての難民ヘレンと、過去の悲劇の象徴としての静御前が、時空を超えてひとつになる。能舞台の橋掛かりが意味するように、目に見える世界と見えない世界、耳に聞こえる世界と聞こえない世界、とどのつまり、あの世とこの世は、実は繋がっている。歌うことによって声が世界に溶けていく。それは自我の溶解、魂が浄化されていく過程。

自分の「声」、自分を超えたより深い「声」、声と言葉の生まれる根源の場所から生まれてくる野性的な始原の声(歌)、始原の宇宙への憧れ…。宇宙と自分の声が結びついている、そんな音楽を書きたい、と結ばれ、講義が終了した。

僭越ながら、最初から最後まで、いたく共感して拝聴した。声のカリグラフィーは、私にとってのヴォカリーズそのものであり、「息の歌」には、自分の体内をのぞきこんでいるようなリアルな感覚があった。「宇宙の気、始原の気、その「気」が地上に顕現した時、「声」になる。宇宙の気を表現するために「声」は存在するのではないか?」とのお言葉には、思わず膝を打つ思い。「声」は、「歌」は、メディアになる。聖き祈りにもなれば、悪魔の囁きにもなる。

静かに、穏やかに、深い憧憬を込めて語られる「声」そして「歌」…。
ふと思う。音楽家には、大別して二つのタイプがあるのかもしれない。より広く外へ向かって音楽をする人と、より深く内奥を見つめて音楽をする人と。いや、これは音楽家に限らない。人としての生き方の別なのかもしれない。内なる高みを求める心は、やがて天を仰ぐ。モンポウが十字架のヨハネの詩を好み、ビクトリア・デ・ロス・アンへレスが聖テレサを愛したように。

こんなリンクを見つけました。
『細川俊夫 音楽を語る』 人は花、人は絃、人は時

日本初演された細川先生のオペラ「松風」に感銘を受けた山根基世さんが、ぜひ!と招聘され、今回の登壇が実現したとのこと。メインの受講者である朗読を学ぶ皆さんのみならず、歌い手にとっても垂涎もの。極めて貴重な時間でした。ありがとうございます。

演奏会形式によるオペラ「二人静」


by Megumi_Tani | 2019-07-13 23:37 | 講座/セミナー | Comments(0)

『誰もがそれを知っている』   

それとなく話題になっていたスペイン映画『誰もがそれを知っている(原題:Todos lo saben)』を観に出かけた。

舞台は、とあるスペインの田舎の村。若い二人の結婚式のために、ペネロペ・クルス演じるヒロインが娘を連れて帰ってくる。小さな村だから、みんな知り合いだ。和気あいあいとにぎやかなに繰り広げられる結婚式の宴。そのさなか、事件が起きる。解決に向け、手掛かりを求めるうちに、小さな、しかし重大な秘密が明らかになる。ひとつの秘密はひとつの疑惑を生み、その疑惑がまた別の秘密を暴き出す。なぜ奴はあんなことを言うのだろう…?もしかすると彼女は嘘をついているのか…?誰もが誰をも信じられなくなり、穏やかに保たれていた人間関係が少しずつ、少しずつ、壊れて行く。取り返しのつかないところまで…。

猜疑心、不信感、疑心暗鬼、裏切り…。心に潜む闇の部分に、どうしようもなく翻弄される登場人物たち。その翻弄のされ方があまりに素直で愛おしい。大地主だった昔のプライドを捨てられずバルで飲んだくれる老いた父親、農園で成功したパコを内心せせら笑う村人、夫の心を取り戻そうと突然キレイにめかし込む妻…。誰にもちゃあんとした理由がある。それは切ないほど当たり前の理由なのに、なぜか現実は空回りする。その哀しさ。

チラシには「息をのむ極上サスペンス」とあるが、幸か不幸か、私は途中で犯人の察しがついてしまった。サスペンス通でもない私にバレてしまうくらいだから、この作品、謎解き度は高くない。誰もが秘かに身につまされる、極めて泥臭い人間ドラマだ。ペネロペ・クルスとハビエル・バルデムの夫婦共演。いかにもスペインの田舎らしい冒頭の長い結婚式のシーンが楽しい。流れる意味深な?歌も印象的。




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by Megumi_Tani | 2019-07-11 00:47 | ビバ!エスパーニャ! | Comments(0)