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『フジタの白鳥』藤田嗣治の舞台美術   

美しい本をご紹介したい。
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第一次世界大戦後の円熟のパリを謳歌。大成功を収め、最後は、洗礼名レオノール・フジタとしてパリに骨を埋めた藤田嗣治。その藤田が手がけた舞台美術について、詳しく紹介されている。
著者は、佐野勝也氏。藤田の足どりを丁寧に追いかけ、パリにおける華やかな活躍、交友関係をたどり、藤田が舞台美術を手がけた作品ひとつひとつについてあらゆる方向から調査し、絵画作品や残された文章との比較、研究を重ね、藤田の芸術、藤田の世界の本質に迫る。沢山の貴重な写真、図版とともに、紹介されているエピソードの数々も興味深い。藤田嗣治ファンならずとも、ぜひお薦めしたい一冊だ。
『フジタの白鳥』画家藤田嗣治の舞台美術

著者、佐野勝也さんとお目にかかったのは1986年のことだった。この年、没後50年を迎えたロルカを讃えて、東京外国語大学をはじめとするいくつかの大学のスペイン語科の学生さん達が『ロルカ没後50年三大悲劇上演』を企画。その代表を務められていたのが佐野さんだった。私にはロルカにちなむ歌曲を歌ってほしい、とのこと。打ち合わせのため、どこかの喫茶店でメンバーの方々とお会いした。リーダー佐野さんの存在感は格別だった。ロルカ上演への熱い意欲、スペイン語との親しさ、若い仲間の絆…。久しく忘れていた何かが蘇るような、とても懐かしい、とても楽しい時間だった。

時が流れた。『フジタの白鳥』は、佐野さんの絶筆になった。知らせてくれたのは、昨年偶然再会した「86年ロルカ組」のメンバーの女性だ。偶然中の偶然、というのも奇妙な表現だが、彼女との再会は、思わずそう書きたくなるほど、不思議な偶然だった。

本を手にした時、フジタの白鳥、ならぬ、白鳥になった佐野さんが、ふわりと舞い降りたような気がした。佐野さん、素敵な想い出をありがとう。どうぞ安らかに。

『ロルカ没後50年三大悲劇上演』パンフレット 
1986年5月7日~10日@板橋区立文化会館
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by Megumi_Tani | 2017-02-26 00:54 | 本の窓 | Comments(0)

ロルカ『4人のラバひき』   

今春4月、スペイン料理研究家渡辺万里さんが主宰されるスペイン料理文化アカデミーで開かれた「川成洋氏特別講演会」に参加した。スペインに関する数々の著書で名高い川成洋先生が、スペイン内戦をテーマに、複雑な歴史、内戦の背景、隠れたエピソード等々を熱く語ってくださった。講演終了後は、美味しいワインと特製タパスの時間。あれこれお話させていただきながら、先生ご自身が蒐集された内戦当時の貴重な資料を見せていただく。書籍あり、画集あり、レコードあり…。
ふと見ると、歌の本らしきものがある。「Canciones de guerra~戦いの歌」

同じく講演会に参加されていたSherry Museum館長中瀬航也さんが写真を提供してくださいました。
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Madrid 1937-1938 の文字がリアルだ。ページをめくってみる。歌集だ。ひとつの旋律にスペイン語、英語、ドイツ語etc、いくつもの言語で歌詞が付けられ、当時の内戦の在り様をうかがわせる。世界中から集まった兵士達が、この歌集を手に歌ったのだろうか…。あれこれ思いを馳せながら、1曲、1曲、眺めていくと…びっくり!「De los cuatro muleros」の替え歌を見つけた。「De los cuatro muleros~4人のラバひき」が「 Los cuatro generales~4人の将軍たち」に姿を変え、語呂のいいスペイン語とドイツ語の歌詞が付いている。なるほど。兵士たちは、こうして誰でも知っている民謡や巷の歌の歌詞だけを変えて、時に声を合わせ、時にひとり口ずさみ、歌っていたのだ。
目の前の資料が伝えている事実を皆さんにお知らせしなければ…。急に歌い手としての使命感?が湧き上がり、即席で、「 Los cuatro generales~4人の将軍たち」を歌わせていただいた。

こちらは、同じく講演会に参加されていた中京大学教授木越勉先生が撮影してくださいました。
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それにしても、今日ここでこの歌に出会うとは…。
今年はグラナドス没後100年記念の年だが、そのグラナドスを深く敬愛していた後輩ファリャも没後70年、そのファリャと年齢差を越えた友情で結ばれていたロルカも没後80年、各々記念の年を迎えている。9月リサイタルでは、平和への祈りを込めて、ファリャの「わが子を腕に抱く母たちの祈り」を、そして久しぶりに、ロルカ採譜の古謡を歌うことにした。全13曲の中から数曲を選ぶにあたり、どういうものか、「De los cuatro muleros~4人のラバひき」が心に留まった。単純素朴の極みのような曲で、もしかすると、これまで本番で歌ったことがないかもしれない。候補になりそうな曲は他にもあるのだが、これを歌おう、と、なぜか思う。その閃き?第六感?に素直に従い、プログラムに入れることを決めた。それがつい半月ほど前のことだ。まさか今日、この替え歌にめぐり合うなんて!川成先生、貴重な歌集をありがとうございました。

ロルカ採譜の古謡集をピアノ伴奏で歌うのは久しぶり。最後に歌ったのは、20年以上前かもしれない。素朴な音の中に、色濃い情念が、ときに重く、ときに軽快に弾ける4曲。グラナドスの洗練された歌曲と一緒にプログラミングするのは、なかなか勇気が要ります(笑)。「De los cuatro muleros~4人のラバひき」コンパクトな歌です。すぐ終わります。皆様、どうぞお聴き逃しなく。

第25回リサイタルスペイン浪漫Ⅱ~エンリケ・グラナドス没後100年に捧ぐ
ご来聴をお待ちしています060.gif
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by Megumi_Tani | 2016-08-04 23:59 | リサイタル | Comments(0)

ファリャとロルカ   

ファリャという人は、彼の熱く濃く凝縮した作品群からは想像もつかないお人柄だ。謹厳実直、病弱、寡黙、痩せて小柄、黒づくめの服…己の熱い魂を音楽のみに昇華させ、己の信念ゆえにある意味頑固に生き抜いたファリャ。この世は生き難かったに違いない、そんな気がする。

1920年、ファリャはグラナダに居を移す。当時すでに作曲家として国際的名声を確立していたが、それに伴うマドリードやパリでの華やかな生活が苦手だった。前年には父母が相次いで急逝した。心身ともに疲れ果てたファリャは、静寂と安寧を求めて、グラナダに旅立った。

そのグラナダで、ファリャとロルカが出会う。若き詩人ロルカは音楽にも造詣が深く、二人はカンテ・ホンドのコンクールを開催したり、人形劇を創作したり、と、ともに楽しい時を過ごす。極めて神経質な人だったファリャは、人付き合いが苦手だった。そんな内に籠りがちなファリャの心も、ロルカの天来の純真な魂に触れると、自ずと温かく解きほぐされた。ファリャにとって、ロルカとのひとときは、かけがえのない安らぎの時間であったにちがいない。

そんな二人の幸せな時間は、1936年、ロルカが銃殺されたことにより、突然、終わりを告げた。若き友を守ってやれなかった悲しみに、ファリャは深く深く傷つく。

第25回リサイタル『スペイン浪漫Ⅱ』後半のテーマは「友よ、永遠なれ」。第3ステージでは、ファリャの「わが子を腕に抱く母たちの祈り」とともに、「ロルカ採譜のスペイン古謡」をお聴きいただく。ロルカが命を奪われたのが1936年、ファリャがアルゼンチンで客死したのは1946年。ともに、没後80年、没後70年の記念の年を迎えている。

ファリャは先輩グラナドスを深く敬愛していた。グラナドスが命を落としたのも、第一次世界大戦に巻き込まれてのことだ。リサイタルで初めて「わが子を腕に抱く母たちの祈り」を歌った2014年、「世の中が第一次世界大戦当時に似ている」と言われていたことを思い出す。2年経った今、どうなのだろう。より暗澹たるニュースが増えたような気がするのは、私だけだろうか。

第25回リサイタルスペイン浪漫Ⅱ~エンリケ・グラナドス没後100年に捧ぐ
ご来聴をお待ちしています060.gif


by Megumi_Tani | 2016-07-09 23:36 | リサイタル | Comments(0)

『内戦の影』   

スペインの音楽講座第7回が終了しました。今回とりあげたのはマヌエル・デ・ファリャ、そして詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカです。

不毛の18世紀が過ぎ、19世紀から20世紀にかけて、ようやくスペインにもアルベニス、グラナドスら「次の時代」の作曲家が登場しました。偉大な先輩マエストロ達の教えを引き継ぎ、さらにその世界を越えて、スペインの音楽を異なる次元~世界的視野をもつスペイン音楽~に昇華させた人、それがマヌエル・デ・ファリャです。かぎりなく緻密な構成、熱くほとばしる鮮烈な色彩感とリズム、楚々として艶やか、大胆かつ繊細な音楽は、まさに「洗練された粋と情熱のスペイン」そのものです。

『スペイン舞曲第1番』~オペラ『はかなき人生』より


『悩ましい愛の歌』~舞台音楽『恋は魔術師』より
今は亡きアントニオ・ガデスとクリスティーナ・オヨスが圧巻!


『7つのスペイン民謡』ファリャ本人のピアノ伴奏!による録音


グラナダに移り住んだドン・マヌエルを慕い集った芸術家たち。その中心にいたのが、若き詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカでした。子どもの頃から音楽に優れていたフェデリコは、村の人々が歌う民謡を覚え、自らピアノを弾いて歌うのが得意でした。気さくな人柄で、誰からも愛されたフェデリコ。ドン・マヌエルとフェデリコとの微笑ましい交流のエピソードがいくつも残されています。

1936年、内戦ぼっ発。ファリャは絶望感にさいなまれ、心身を病み、弱っていきます。そして、突然訪れた悲劇。ファリャはフェデリコのために奔走しますが、マエストロ・ファリャの影響力を以てしても、詩人の命を救うことはできませんでした。非人間的な暴力への怒り、若き友を失った悲しみ、虚しさ…。ファリャはますます衰弱していきます。

『Breve biografía de Federico García Lorca

クリックして画像をどうぞ。ガルシア・ロルカの生涯を駆け足で見ることができます。

フェデリコは自ら採集したスペイン古謡のなかから13曲を譜面に残しています。さらに、彼が自らの演劇に使うつもりで書き残した音楽を、友人の作曲家ピタルーガが編纂した楽譜集『ガルシア・ロルカ演劇中の旋律』があります。
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内戦終結後、ファリャはアルゼンチンから演奏会の招聘を受け、病の身を押して海を渡ります。かの地で療養を重ねるも健康の回復はならず、七年後、ついに故郷スペインへ帰ることは叶わないまま、息を引き取りました。望郷の念激しく、自宅には、アルゼンチンとスペイン各々の時刻に合わせた二つの時計を置いていたといわれています。

小柄で黒ずくめの服装、己に厳しく、贅沢を嫌い、虚栄を嫌い、規則正しい生活を守り、律儀で義理堅く、お世話になった人への恩義を決して忘れず、世界に開かれたスペイン音楽、そしてその音楽の精神における高みをひたすらに求め、自らの生涯を神に捧げたファリャ。あたかも求道者のごとく生きた彼の、おそらくは数少なかったであろう穏やかな時間のなかに、ガルシア・ロルカの存在がありました。死後、ファリャの蔵書の中から、フェデリコの原稿が発見されています。子ども向けの愉快な人形オペラの台本で、余白にはファリャの覚書やスケッチが書きこまれていました。ドン・マヌエルとフェデリコの穏やかな時間が続いていれば、もしかすると一大傑作が生まれていたのかもしれません。

音楽講座の帰り道、夜空を見上げると、星ひとつない真っ暗な空に、ほんの少し赤い月がくっきりと浮かび上がっていました。



第5回教養講座『Las Músicas de España』(スペインの音楽)
これまでの講座の様子は、こちら。
『第1回』 『第2回』 『第3回』 『第4回』 『第5回』 『第6回』 
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by Megumi_Tani | 2014-03-19 00:13 | 講座/セミナー | Comments(0)